日々の管理人の語り場所、フォーム返信場所
カレンダー
04 | 2024/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
リンク
フリーエリア
最新トラックバック
プロフィール
ブログ内検索
最古記事
カウンター
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ちゃんと生きてますよ。
Yahoo!ジオティーズさんが終了するので、サクラサーバーに移転しました。
Yahoo!ジオティーズさんが終了するので、サクラサーバーに移転しました。
PR
ちゃんと生きてます。
仕事がしんどいですが、生きてます。
目標は、リクエストをすべて書き上げること。
お待たせしてすみません。
仕事がしんどいですが、生きてます。
目標は、リクエストをすべて書き上げること。
お待たせしてすみません。
引っ越してから、やっとネットが繋がりました、これでHPの更新ができます。
近況報告としては…、非常につらいのですが。
数年前から病院で寝たきりになっていた叔父が3日前に亡くなりました。
仕事に少しずつ慣れてきて休みをもらってゆっくりしようとした矢先に危篤となり、翌日の早朝に息を引き取りました。
なんの運命のいたずらなのか、亡くなったその日は、叔父の誕生日でした。
生まれた日と命日がいっしょになった叔父の葬儀は、無事に終わり、あとは納骨と、お爺ちゃんの一回忌といっしょに四十九日をすることになっています。
あとから聞くところによると、叔父は生前から事故などで怪我をして入院することが何度かあり、そのたびに復活するという奇跡を起こしてきた人で、寝たきりの時も一度は危篤になったものの医師が首を傾げるような奇跡で回復したので、亡くなる前もまた回復するんだろうという気持ちが半分占めていました。両親がそう口にしていました。
しかし亡くなる前には、もう腎臓がまったく機能しておらず病院の懸命な処置も受け付けず、眠るようにこの世を去ったと聞いています。
母親がその日、私が住んでいる祖父母宅に泊まりに来ていて、危篤の連絡はその日のうちに伝わり、そして夜に容態が悪化し、母は同じ病院にいる祖母と共に最後を看取りに行きました。
私は行きませんでした。いや、行くのが怖くて行くのを拒否しました。
叔父がいつ死んでももうおかしくないと頭で理科していたつもりでしたが、いざその時が来ると恐怖に負けてしまいました。
知らせが来るまで家で待ち、その間苦しくて同級生の友人に電話して話しながら泣きました、深夜まで起きていましたが、仕事だから就寝することにし、約3時間前後眠りました。叔父がなくなったのは、私が就寝する数十分後のことでした(携帯に着信とメール)。
寝不足とショックで仕事があまり身に入らず、かなりきつかったです。
翌日とその次の日分の休みをもらい、通夜と葬式に出ました。
なので今日は仕事でした。
なんだかまだ実感がありません。
怪我とか病気をはねのけてきた微鉄人だった叔父がまだ病院に行けばいるんじゃないかという感覚が抜けません。父も笑って口にしていました。
でも家には、しっかりとお爺ちゃんの遺影の隣に叔父の遺影が並んでいます。
不思議なもので、別れの暇すらなかった父方のお爺ちゃんと母方のお爺ちゃんの死の知らせを受けた時とは全然感じ方が違います。
母曰く、突然だったからだと。叔父は、最後を親と姉に看取られたのでだから違うと感じてしまっているのでしょう。
長々と暗い話を綴りましたが、最近あった出来事はこんな感じです。
仕事の方もどんどん本格化していくらしいので、精一杯がんばっていきます。
近況報告としては…、非常につらいのですが。
数年前から病院で寝たきりになっていた叔父が3日前に亡くなりました。
仕事に少しずつ慣れてきて休みをもらってゆっくりしようとした矢先に危篤となり、翌日の早朝に息を引き取りました。
なんの運命のいたずらなのか、亡くなったその日は、叔父の誕生日でした。
生まれた日と命日がいっしょになった叔父の葬儀は、無事に終わり、あとは納骨と、お爺ちゃんの一回忌といっしょに四十九日をすることになっています。
あとから聞くところによると、叔父は生前から事故などで怪我をして入院することが何度かあり、そのたびに復活するという奇跡を起こしてきた人で、寝たきりの時も一度は危篤になったものの医師が首を傾げるような奇跡で回復したので、亡くなる前もまた回復するんだろうという気持ちが半分占めていました。両親がそう口にしていました。
しかし亡くなる前には、もう腎臓がまったく機能しておらず病院の懸命な処置も受け付けず、眠るようにこの世を去ったと聞いています。
母親がその日、私が住んでいる祖父母宅に泊まりに来ていて、危篤の連絡はその日のうちに伝わり、そして夜に容態が悪化し、母は同じ病院にいる祖母と共に最後を看取りに行きました。
私は行きませんでした。いや、行くのが怖くて行くのを拒否しました。
叔父がいつ死んでももうおかしくないと頭で理科していたつもりでしたが、いざその時が来ると恐怖に負けてしまいました。
知らせが来るまで家で待ち、その間苦しくて同級生の友人に電話して話しながら泣きました、深夜まで起きていましたが、仕事だから就寝することにし、約3時間前後眠りました。叔父がなくなったのは、私が就寝する数十分後のことでした(携帯に着信とメール)。
寝不足とショックで仕事があまり身に入らず、かなりきつかったです。
翌日とその次の日分の休みをもらい、通夜と葬式に出ました。
なので今日は仕事でした。
なんだかまだ実感がありません。
怪我とか病気をはねのけてきた微鉄人だった叔父がまだ病院に行けばいるんじゃないかという感覚が抜けません。父も笑って口にしていました。
でも家には、しっかりとお爺ちゃんの遺影の隣に叔父の遺影が並んでいます。
不思議なもので、別れの暇すらなかった父方のお爺ちゃんと母方のお爺ちゃんの死の知らせを受けた時とは全然感じ方が違います。
母曰く、突然だったからだと。叔父は、最後を親と姉に看取られたのでだから違うと感じてしまっているのでしょう。
長々と暗い話を綴りましたが、最近あった出来事はこんな感じです。
仕事の方もどんどん本格化していくらしいので、精一杯がんばっていきます。
近況報告。
母親の実家の方で就職先が決まりました。
なので、母親の実家に引っ越します。
ネットの契約云々をどうするか考えないといけないので、サーバーを移転するかもしれません。
その場合、突然閲覧できなくなったり、初のお引っ越しによる混乱で時間がかかるかもしれません。
母親の実家の方で就職先が決まりました。
なので、母親の実家に引っ越します。
ネットの契約云々をどうするか考えないといけないので、サーバーを移転するかもしれません。
その場合、突然閲覧できなくなったり、初のお引っ越しによる混乱で時間がかかるかもしれません。
顎の治療のために大きな病院で検査を行った結果。
食いしばる時の顎の筋肉が筋肉痛を起こしているという結論にたっし、痛み止めと、朝方の歯ぎしりを止めるためのマウスピースをもらうことになしました。近日病院に行きます。
痛み止めの薬が眠たくなる副作用のあるものだったので、せっかく心療内科で眠気を抑えようと薬を弱くしてもらったのに、前より悪化。
眠たくて眠たくて、すぐに船をこぎはじめる。それほど眠くて仕方ない。
そんなときに、今度は風邪と腹痛がやってきた。
鼻風邪はよくなるので別に問題はないのですが、下腹辺りが痛い。軽い腸炎だと思います。
鬱病の治療を始めてからすっかり風邪をひきやすい体質になってしまったらしく、軽い症状に見舞われるのはもう日常になってしまいました。
怒られて何も感じなくなったのは、風邪をひきやすくなってしまったことよりも重大な問題だと思っています。
仕事で怒られるのは、仕事を早く覚えてもらうためにやってくれていることなのに、それを感じることができなくなったら、いつまでたっても前進できないということです。
以前の私は、怒られるとすぐに泣いて、ウジウジ考え込む性格でした。失敗するのが怖くて、怒られたくなくて慎重になりすぎて気にし過ぎて、結果鬱病になってしまいました。
治療の過程で怒られたら反省するという常識ができなくなった私は、間違いなく社会不適合者なんだなと思います。
だからといって、サイトを閉鎖するつもりはありません。
私にとって、二次創作は、日々を生きていくための糧だからです。
色んなサイトの二次創作を見て回って、ああ、生きててよかったと、自殺願望を抑えることにつながっています。
社会不適合者、すなわち非常識の私がアンチ系の創作をしていることについて様々な意見ももらいました。
意見をもらう以前からたまにアンチ系をやめるべきか?と考えましたが、やめることはできませんでした。
二次創作という分野が著作権などでかなり危ないラインにあるものだとは、知っています。しかし私はそれが好きでたまらないのです。アンチ系を書くのも見るのも大好きで仕方がないのです。
どうすることもできません。どうすればいいか分かりません。
食いしばる時の顎の筋肉が筋肉痛を起こしているという結論にたっし、痛み止めと、朝方の歯ぎしりを止めるためのマウスピースをもらうことになしました。近日病院に行きます。
痛み止めの薬が眠たくなる副作用のあるものだったので、せっかく心療内科で眠気を抑えようと薬を弱くしてもらったのに、前より悪化。
眠たくて眠たくて、すぐに船をこぎはじめる。それほど眠くて仕方ない。
そんなときに、今度は風邪と腹痛がやってきた。
鼻風邪はよくなるので別に問題はないのですが、下腹辺りが痛い。軽い腸炎だと思います。
鬱病の治療を始めてからすっかり風邪をひきやすい体質になってしまったらしく、軽い症状に見舞われるのはもう日常になってしまいました。
怒られて何も感じなくなったのは、風邪をひきやすくなってしまったことよりも重大な問題だと思っています。
仕事で怒られるのは、仕事を早く覚えてもらうためにやってくれていることなのに、それを感じることができなくなったら、いつまでたっても前進できないということです。
以前の私は、怒られるとすぐに泣いて、ウジウジ考え込む性格でした。失敗するのが怖くて、怒られたくなくて慎重になりすぎて気にし過ぎて、結果鬱病になってしまいました。
治療の過程で怒られたら反省するという常識ができなくなった私は、間違いなく社会不適合者なんだなと思います。
だからといって、サイトを閉鎖するつもりはありません。
私にとって、二次創作は、日々を生きていくための糧だからです。
色んなサイトの二次創作を見て回って、ああ、生きててよかったと、自殺願望を抑えることにつながっています。
社会不適合者、すなわち非常識の私がアンチ系の創作をしていることについて様々な意見ももらいました。
意見をもらう以前からたまにアンチ系をやめるべきか?と考えましたが、やめることはできませんでした。
二次創作という分野が著作権などでかなり危ないラインにあるものだとは、知っています。しかし私はそれが好きでたまらないのです。アンチ系を書くのも見るのも大好きで仕方がないのです。
どうすることもできません。どうすればいいか分かりません。